甲子園の土を持ち帰る風習はいつから?どこから運ぶの?優勝校は?

夏の甲子園は、幅広い世代が関心を持つ高校球児あこがれの大会です。野球にあまり興味がなくても、なぜか甲子園は見てしまうくらいの魅力がありますよね。
テレビ中継を見ていると、試合に負けたチームの選手が甲子園の土を持ち帰る光景を目にしますが、「負けたチームの選手が土を持ち帰る風習っていつから始まったのだろう?」と疑問に思う人も多いのではないでしょうか。
ここで、甲子園の土を持ち帰る歴史などについて学んでいきましょう。

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甲子園の土はいつから持ち帰るようになった?

甲子園の土を持ち帰った初めの人は誰なのかというと、以下の2説が有力とされています。

説1:川上哲治説
1937年大会の決勝戦は、愛知県代表の中京商と、熊本県代表の熊本工の戦いでした。結果は3-1で中京商が勝利し、惜しくも敗れた熊本工の投手であった川上哲治さんが、土を持ち帰ったのが始まりという説

 

説2:福島一雄説
1949年大会の準々決勝で福岡県代表の小倉が敗れ、小倉の投手である福島一雄さんが土を持ち帰ったという説

 

どちらも敗れたチームの投手が持ち帰ったのが始まりとされていますが、この時点では一人しか持ち帰っていませんよね。実際に敗れたチームの選手達が土を持ち帰るという風習の起源は、1958年大会にあるとされています。

沖縄県代表として初めて出場となった首里高校の選手が、甲子園の土を沖縄に持ち帰ろうとしたところ、沖縄に甲子園の土を持ち込むことが許されませんでした。というのも、当時の沖縄はアメリカの統治下であったため外国の土を持ち込むことができなかったという理由があったからです。

しかし、あまりにも悲しい思いをした高校球児を不憫に思った航空会社の客室乗務員(スチュワーデス)が、法律で持ち込みが禁止されていない甲子園の石を首里高校に贈りました。このエピソードが注目を集め、甲子園に出場した選手が土を持ち帰る風習が徐々に定着されていきました。

甲子園の土はどこから持ってくるの?

甲子園の土って鳥取砂丘から運んでくるという話を聞いたことはありませんか?この話は、ガセネタなんです。
というのも、鳥取砂丘は国立公園ですので、勝手に公園内の自然物を持ち出すことは犯罪です。落ちている枝を持って帰ることも厳密には禁止されていますので、もちろん砂を運ぶなんてできません。

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しかし、なぜ鳥取砂丘の砂を運んでいるというガセ情報が広まったのでしょうか?
これには色々な憶測が飛び交っていますが、最も有力なのが野球漫画が原因ではないかという説です。

その漫画とは、皆さんご存知のドカベンです!春のセンバツ高校野球の二回戦で、主人公の山田率いる明訓高校は、中国地区代表の鳥取・大砂丘学院と対戦した内容が鍵を握っています。

明訓高校は、鳥取・大砂丘学院の走力に苦戦を強いられ思うような試合運びができませんでした。そんな中、鳥取・大砂丘学院の監督が衝撃の一言を放ったのです。
「この甲子園球場の砂は、鳥取の砂丘から運ばれてきた砂だぜ」

この一言が甲子園の砂が鳥取砂丘から運ばれたと誤解を生んだのかもしれません。それだけ、ドカベンの人気ってすごかったから影響力を考えると納得してしまいます。

では、話を戻して甲子園の土はどこから運ばれてくるのかについて説明します。
毎年決まっているわけではありませんが、岡山県日本原や三重県鈴鹿市、鹿児島県鹿屋、鳥取県大山などの黒土に、甲子園浜及び香櫨園浜社有地、瀬戸内海産の砂浜などから取れる砂をブレンドした土が甲子園の土です。

春の大会と夏の大会でブレンドの比率が変わってきます。春は雨が多いため、水はけをよくするため砂を多めにブレンドし、夏はボールを見やすくするために黒土を多めにブレンドしています。ぜひ、春夏の甲子園の土の違いに注目してみましょう。

甲子園の土を優勝校は持ち帰らない?

甲子園の土って敗れたチームの選手が持ち帰るイメージがありますよね。では、一度も敗れなかったチーム、つまり優勝校は土を持ち帰らないのでしょうか?

実際は、持って帰るチームが多い傾向にあります。甲子園の土を踏んだという記念に持って帰り、自宅に飾ったり、友人に渡したり、自分達の学校のグラウンドに蒔いたりと用途は様々です。また、試合後に持ち帰るだけでなく、練習中に袋に入れている選手も中にはいるそうです。

まとめ

甲子園の土を持ち帰る風習が定着したのは、1950年後半の出来事がきっかけとされています。
また、甲子園の土は、鳥取砂丘から運ばれているイメージが強いですが、実は様々な場所から運ばれているのです。さらに、選手がプレーしやすいように季節によってブレンドが異なります。今度の甲子園を観る際は、その辺にも注目してみましょう。

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